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【SALLiA’s リトリート第9回】一生忘れない初ステージの思い出と初心に返る『若草公園』
実はこの若草公園、私にとっては一生忘れられない思い出のある場所なのだ。歌って作って踊る音楽のアーティストとして活動を始め、早10年以上。今まで本当に様々な場所でたくさん歌って踊ってきた。
そして節目節目で思い出すのが、高校1年生の時、この若草公園で初めて人前で歌った日のことだ。
進学校で勉強を頑張りすぎて体を壊し、入院していた時、たまたまラジオから流れたエリック・クラプトンのTears in heavenと出会い、「音楽の持つ力」を思い知ったあの日。
英語の歌詞でどんな歌かも分からないのに、心に絆創膏を貼ってもらったような気持ちになり、涙を流した私が音楽の道に進みたいと思ったのは、今思えば必然だったかもしれない。
進学校を辞め、翌年別の高校を受験し入学した明豊高校は、甲子園常連校として有名だが、実はとっても自由な校風なのだ。
周りの女の子たちは「モデルになりたい」、「ヘアメイクアーティストになりたい」、「歌手になりたい」と、明日着る服を選ぶような気軽さで、でも堂々と自分の夢を口にしていた。
今まで勉強していい成績をとることを強いられていた私にとって、それはかなりの衝撃だった。
「そうか!自由に夢を追ってもいいのか!!」そう考えた私は、すぐに母を説得し、当時大分市にあった芸能スクールの門を叩いたのである。
入って2カ月ほど経ったある日、発表会をしようということになり、私はソロで1曲、グループで1曲披露することになった。
そう。忘れもしない。ここから地獄の1カ月が始まるのだ。なにが地獄だったのか?
今思うと情けない話だが、「超絶緊張していた」ことによって、1カ月食べられない、眠れないという日々が続いたのである。
ステージに立ったこともない、人前でまともに歌ったこともない私にとっては全てが未知で、全てが恐怖と不安の対象だった。
音を外したらどうしよう。歌詞が飛んだらどうしよう。歌っている時はどこを見て歌えばいいのか…。考えはどんどん悪い方に全力疾走していく。
そうして迎えた本番当日。
「たくさんお客さんが来たら、どうしよう」と思っていた私をせせら笑うように、当日は土砂降りの雨。
この頃から安定の雨女だったらしい。
目の前で見ているお客さんは一人もおらず、公園内にある机の上で囲碁をしているおじさま方が唯一のお客さんだったにも関わらず、ガムシャラに大雨に向かって、必死で歌った。
曖昧な記憶の中で、それだけは覚えている。
そして人生で初めて見つけた夢への第一歩を踏み出し、ほどよい挫折感と、微妙な達成感を得たのが、この若草公園なのだ。
おかげさまで初ステージ以来、私は緊張しなくなり、全国のショッピングモールでライブして回ったり、ワンマンライブをやったり、色々なイベントでも歌わせていただくことができた。
そんな私がこの前、その時ぶりに若草公園のステージに立った。
多分、およそ16年ぶりに。
当然、成長はしていると思う。でもだからこそ、手の抜き方も分かるようになってしまっていると思うこともある。もちろん手は抜いたことなどないが、ライブ中「やっぱりしんどいな、手を抜いてもわからないだろうな」と魔が差しそうになる瞬間もある。
そんな時、若草公園で初めて歌ったあの日の私が、いつも私に問いかけてくる。
もっと上手くなりたい。もっと人を感動させたい。
あの日感じた「ほどよい挫折感」と「微妙な達成感」がいまだに私に手を抜くことを許さないでいてくれるのだ。
久々に立った若草公園のステージは、やはり16年分の重みがあって、色々な瞬間が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、そして頭の片隅で思った。
よくもまあ、16年間も続けてるよなあ、と。
ステージデビュー以来の若草公園でのライブは、ある意味、16年間歌い続けた私に対する皆勤賞のようなものだったと思う。
何のために歌い踊り、ステージの上で話すのか。仕事になってからは自分のためではなく、「誰かのために」という意識が大きくなっていたが、やっぱり私は歌が好きだし、踊ることも好きなのだ。
初心に戻るということは、あの日の自分に還って、頑張り続けた自分を労い、成長した分を誇り、それを自分の糧に変えることなのだろう。
また今度この場所で歌える日が来たら、今まで以上に音楽を愛し、自分に誇りを感じられる「表現者」になれていたらいいと思う。
大分/おでかけ/公園/思い出/リトリート/連載
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