大分のおいしいネタ、抽出しました。

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改めて13年ぶりに、大分に戻ってきた。

干支はすっかり一周して、19歳で上京した私は32歳になっていた。

「音楽の道で生きる」という夢を果たすため、生まれ育った大分を離れてから、月日が経てば経つほどに故郷・大分との向き合い方がわからなくなっている自分にある日、気がついた。

「夢を叶えたいのであれば、大分を捨てるつもりで」という想いを胸に忍ばせて上京した私は、リリースのプロモーションで大分に帰る度、「居心地の悪さ」みたいなものを心の中で実は感じていたのだ。

歌手として叶えられた夢もあれば、いまだ叶えられていない夢もある中で、人からは「成功してるね」「すごいね」と言ってもらえることも増えたが、自分の中では「まだ故郷に錦を飾るほどではない」と思っていたからである。

故郷である大分に一瞬でも甘えたら、私はまた東京に戻って全身全霊で戦えないのではないか?今考えてみると、あの時の私にはそんな想いが常にあったのかもしれない。

それを証拠に、上京してから一度も大分に戻りたいと思ったことはなかった。東京で暮らすのが自分には向いてるし、ずっとそうやって生きていくんだと自分に言い聞かせていたのだ。

そのくせ大分に帰ってきて街の変わったところを見つける度に、「故郷から捨てられた」ような気持ちにもなっていたのだから我ながら心底、面倒臭いと思う。

そんな私が、なぜ故郷に素直に戻ってくることが出来たのか?
表向きの理由は「コロナ禍」ということにしているが、それはあくまで「口実」に過ぎない。

仕事もすべてオンラインで成立するようになり、ライブも配信ライブでやるしかなくなって、距離に縛られる必要がなくなったというのも理由としてはもちろん大きい。

でも本当は、故郷・大分を通して得た「自分に対する許し」が私をそうさせたのだ。

2016年11月、私は目標の一つにしていたUSENチャートで1位を獲得することができた。もちろん大分の皆さんにも応援していただき、「おめでとう」とたくさん言ってもらったが、その翌年、私はとある事故によってある日突然、日常を失った。

どれだけ多くの病院を廻っても「治るかどうか分からない」と医者に言われたが、それでも座ってできるラジオの仕事だけは続け、一縷の望みをかけ、激痛を伴うリハビリにも耐えた。

そしてその時、私は上京して初めて「大分に帰りたい」と思ったが、同時に「こんなところじゃまだ大分に帰れない」という思いも頭に浮かんだ。
いつもそんな犬も食わないようなプライドが邪魔をして、素直になれないことが私の人生にはたくさんあった。こんな時ぐらい、素直になったっていいじゃないか。

帰りたいと思った時、真っ先に浮かんだのは「大分の海」と「高校時代の友達」だった。

私はまず久々にSNSを辿って、友達に連絡をとり、久々に会うことになった。彼女は母親になり、昔よりもずっと逞しく強く生きていた。今の不甲斐ない自分をちゃんとさらけ出せるのだろうか?と不安になっていた私に、お酒が進んで2時間ほど経った頃、彼女はこう切り出した。

「なんかあったんやろ?」

慣れ親しんだ大分弁で優しく問われたその声に、うっかり涙腺が緩んでしまう。必死で涙を堪えながら足の事故に遭う前から、音楽の道で生きるのにどこか疲れていたこと、辞めようか迷っていることを彼女に告げた。

すると彼女は「今やめたら絶対に後悔する。東京で、好きなことを仕事にしているあんたんこと、私は尊敬しちょんのや。」と私を真っ直ぐ見つめてそう言い、そしてこう続けた。

「私はずっとここにおるけん、またしんどくなったら帰ってきよ。」

それまでの私にとって、故郷・大分は「成功していると認めることができない自分を許せない」という想いの象徴でもあった。

しかし彼女の言葉を聞いた瞬間、それは間違っていたのだと気づいたのだ。

故郷の大分は、頑張ってきた自分を遠くからでも見て、知ってくれている人たちがちゃんといて、どんな自分にも「おかえり」と言ってくれる人たちがいる場所だったのだ。テレビ局やラジオ局の人たちだって、私が帰ってくる度にそう言ってくれていた。いつもずっと変わらずに。

その後、無事に今まで通りの「歌って作って踊る」音楽のアーティストとしても復帰し、足の事故をきっかけに「仏像オタクニスト」「ライター」という新たな仕事を始めたわけだが、

コロナ禍の東京で暮らしている内に、自然と「様々な経験をしてきた今の私なら、大分に帰ることに意味を見出せるのではないか?」と考えるようにもなった。

そんなある時、頭の中に「的ヶ浜公園から見た大分の海」の景色が浮かび、その瞬間私の心は決まった。

「海」という言葉には「母」という漢字が入っている。何かあると母に話を聞いてもらう子供のように、昔から何かある度よく海に行っていた。一定のリズムで寄せては返す波を見ていると、気持ちが落ち着くからという理由だけでなく、純粋に大分の海の景色が好きだった。

大分に帰ろう。どうせ暮らすなら大好きな人たちや、景色がある場所で暮らしたい。

この海に会いたくて、「おかえり」と唯一言ってもらえる人たちのそばにいたくて、私は帰ってきた。

コラム連載のタイトルに用いた「リトリート」という言葉は、避難所や隠れ家の意味を持っていたが、近年欧米では「日常生活から離れてリフレッシュする時間をもち、心身ともにリセットする」という意味である。

このコラム連載が皆さんにとっての「リトリート」にもなり得るように、私自身が「そばにいたい」と思える大分の景色と出逢っていき、それを皆さんとシェアしていこうと思っている。

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大分/別府市/パワースポット/海/コラム/連載

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