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「サタデーナイトいつもの場所に行こうぜ。イカレタ服着てイカレタ奴らと。」
『CHAOS』のライブではオープニングナンバーでCHAOS MANIAC達にはお馴染み『ANARCHIST CARNIVAL』の歌いだしだ。
この歌詞を胸に、久々にイカレタ服に身を包む。
冒頭にも書いたようにバンド結成30年という節目を迎えた『CHAOS』のVOCALでありオリジナルメンバーのCHIKARAさんにインタビューを決行しようと企んでいた。

CHIKARA
大分が誇るパンクロッカー。10代の頃からバンド活動をスタートし、これまでに数多くのライブをこなしてきた。そのステージングと数多くの伝説で多くのフォロワーに影響を与えている。

俺がインタビューをする意味としては、全国に多くいるCHAOS MANIACの1人であるということに加え30年という活動期間の中、10年目を迎えた頃の2年間CHAOSのメンバーだったということ。
CHAOS MANIACと元メンバーという二つの視点から迫ることができると思ったのだ。

当時のライブ写真

CHIKARAさんの奥さんも交えて、俺たち3人のアナーキストカーニバルは大分市高城の駅前にある『居酒亭 時』へ。

高城駅前にある『居酒亭 時』の前で

トビラヲケトバして店内に入ると温かみのある照明で居心地の良い上質な大人の時間が流れていた。
「イカレタ服」を着た俺たちには正直不釣り合いなんじゃないか?

店内には暖かい照明の中、ゆっくりとした時間が流れている

高校を卒業して、最初に福岡に出た頃、「大分やったらCHIKARA君知ってるやろ。」と決まり文句のように聞かれていた。とにかく良くも悪くも?名前はかなり広まっていた。
『CHIKARAさん』と『CHAOS』という名前を少しでも聞いたとこがある人の中には「怖くてヤバい人」だとか「手が付けられない人」、数々の武勇伝から「暴れん坊」というイメージが独り歩きしているかもしれない。
俺も最初はそうだった。
でもこのインタビュー記事で、その独り歩きしているイメージを覆すことになるだろう。(CHIKARAさんにとっては営業妨害になるかもしれないが…)

まずは30周年おめでとうございます。現在のメンバー編成は?
「VOCALは俺、CHIKARAでGUITARはTOSHI、TOSHIは1回抜けた期間があったけど、また戻ってきた。BASSはコマッチ。ドラムはケン坊。」

左からコマッチ、CHIKARA、ケン坊、TOSHI

そもそもCHIKARAさんが、パンクに目覚めたきっかけは何だったのだろうか?

「もともと歌うのが好きで、3歳くらいの時から炬燵の上に立ってテレビの歌番組の真似してたらしい。親が俺にお洒落な服着せてくれて、歌とお洒落が好きなのが重なったのが、小5の時かな。『THE MODS』がロンドンで歌ってるのをテレビで観て。その時に客の中でモヒカンの奴が映って衝撃を受けた。当時雑誌とかにもパンクバンドとかが載ってて、俺も真似して破れたジーパン履いたり、モヒカンにして学校で坊主にさせられたりとか(笑)昔はけっこうパンクなカッコした奴らがおって今に比べて結構身近やったなと思う。」

なるほど、CHIKARAさんお洒落だから納得できる

「パンクのカッコが好きなファッションパンクの面もある。パンクはカッコやねぇ、ハートやとか言う奴もおるけど、どうせなら革ジャン、リストバンド、チェーンとかでパンク好きをアピールできた方がいいよな。」

確かにライブの時も「今日お前何着るんか?何色着るんか?」とか言いながら、他のバンドよりも服とか見せ方をかなり考えていた。パンクバンドである以前にエンターテイナー。確かメイクボックスも楽屋に持ってきていた。豹柄の。(持ち物一つにも拘りが)

「お客さんがせっかくお金払ってきてくれるから、その日着てきたままのカッコやなくてライブ用の衣装に着替えてやりたい気持ちはあるよな。」

ここでCHIKARAさんおすすめのユッケ、その他の炭火焼きメニューは運ばれてきた。

一般的なユッケとは違い、洗練された見た目。味はもちろん◎

鮮度が良い肉を焼き始めると同時に更に話が盛り上がり始めた

CHIKARAさんはお洒落で且つグルメなのだ。感度が高い。
ここで「ただ怖い人、暴れん坊」というだけのイメージが少し覆る。

良い感じにビールが進んできたところで、バンド結成について。

「中学の時にバンド初めて組んで、その時から歌詞書いてたな。
高校で大分の学校通い出して、こっちの奴らとサツキスタジオとかでライブやりだした。CHAOSの前に『マネキン不法集団』ってバンド組んだけど…今思えばバンドって言うよりもギャング集団やな、あれは(笑)その時のメンバーがこの店のオーナー。」

マネキン不法集団。赤いモヒカンがCHIKARAさん

えっ!!!うそ!!!?こんな上質な大人の雰囲気の店で、しかもあんな洗練された料理を出す人が「イカレタ服」着た人とバンドやっていた過去が!!!?
実はパンクスだとかバンドマンは結構繊細でアーティスチックな人が多いのだ。
「それで、高校辞めた後で一時期仕事で名古屋行って、向こうでもモヒカンにしてバンドやって。その後こっちに戻ってCHAOS始めた。ポップなパンクやりたくなって、最初にオリジナルデモテープ作った。その時CJOに宣伝で載せてもらったこともあったな。」

その時からカセットテープとか、CD、7インチレコードとかリリースに精力的だったようだ。最近もアコースティックのオムニバスCDに参加してリリースされたばかり。

「結構いろいろ作った。カセット、バッヂにステッカー、ポスター、Tシャツ。パンクブランドで服も作りたいなとか思うけどなかなか時間がそこまで回らん。そう言えばあの7インチ(レコード)!今海外で結構プレミア付いたらしい。またあんな感じの出したいとも思う。」

プレミアが付いている『REVOLUTION!』 当時皆で集まってレコードにスタンプを押しながら作ったことを思い出した

この30年の間で、今と昔、どのような違いを感じているのだろうか?

「メンバーも違うし時代も違って客層も違う。昔来よった奴の子供が今来だしたりとか。でももう前みたいにパンクのカッコした奴はほとんどおらんな。普通のカッコした若い客が増えてきた。バンドとしてもパンクなんやけど、パンクだけじゃなく違うタイプの曲とかも増えた。今度の新曲も「VIVA LA PUNK」ってタイトルなんやけど、曲調はパンクじゃない。パンクを目指した、パンクに憧れたロックバンドって感覚か。だからこそいろんなことやるのに演奏技術が必要やとも思う。パンクは上手かったらダメみたいなこと言う奴多いけど、上手いに越したことはないよな。幅も広がるし。」

確かに俺が入った時もパンクやないカッコした子とかも来てた。これはただのパンクバンドじゃなく、ステージに立つ演者としての高いプロ意識の現れだと思う。対バン(ワンマンライブとは違い、同じ日にライブを演るバンド)にも拘らず、メジャーミュージシャンとの対バンの時には更にその意識が増して、パンクバンドでありながらメジャーミュージシャンに負けないMCやステージングを後ろから見聴きしていた。激しい曲ばかりではなくポップな曲もあったり。バリエーションに富んだ楽曲を演奏するには当然テクニックを求められた。
パンクの枠にハマらずに活動するCHIKARAさんは、大分のバンドマンたちからも慕われていて、いつもCHIKARAさんの周りにたくさんの人が集まってたイメージがある。

「パンクな奴は少ないけど、バンドマンは結構おった。大分からメジャーデビューした奴も結構いて『go!go!vanillas』とかも聞いた話しLIVEに来てくれてたらしい。この前「CHAOSの曲、東京のラジオでかけていいですか?」って連絡あって。やっぱりそういうのは嬉しいよなぁ。やりよって良かったと思う。」

CHIKARAさんは一度キレると手が付けられないというのは事実。
だがそれだけではなくて。特に県外にライブに行った時に感じたのは現地のパンクス達が嬉しそうにCHIKARAさんのところに寄ってきていた。パンク界だけじゃない。
大分のバンド界の兄貴的、親分肌なところもあり多くの人から慕われているし、
お洒落だからパンク以外のジャンルでも感度が高く、街の人気者でもある。そう言えばCHIKARAさんのことを悪くいう人に会ったことがない。本当に。
人望が半端ないのだ。

その証拠に先日行われたCHIKARAさん夫妻のウェディングパーティーには県内外から多くの人が集まっていた。

ウェディングパーティーの2次会で盛り上がる会場

インタビューというよりも、思い出話に花が咲いて終始爆笑しながらのやり取りだった。
だが、それが良かったと思う。
変に型にはまったインタビューよりも、こうして笑いながらバカ話をしたことで、素のCHIKARAさんを引き出せたと思っている。(引き出せたが書けないことだらけなのが惜しまれる…笑 なら意味ねーじゃねーか‼と野次やら物が飛んできそうだが…申し訳ない。ならば実際に会いに行ってみてほしい。)

そんなCHIKARAさんがVOCALをとる『CHAOS』の30周年ライブが、40周年を迎えた『ニューロティカ』を迎えて行われた。

30周年を祝うように、多くの人が駆けつけてこの日も例に漏れず多くの友人やCHAOS MANIAC達に囲まれていた。

そして、福岡を代表するパンクバンド『THE SWANKYS』(福岡で80年代に活動した伝説的パンクバンドでメジャーミュージシャンやお笑い芸人、ファッションデザイナーなど多くの人に影響を与えている)のドキュメンタリー映画『バカ共相手のボランティアさ』に出演して語っていることから、6月29日(土)に別府ブルーバード劇場での舞台挨拶が決定している。

出演した映画でライブ後の暴動について語るCHIKARAさん

パンクだけじゃない、怖いだけじゃない。これからもCHIKARAさんは多くの人を惹きつけて、くたばるまで派手にCHAOS ROCKを続けるだろう。

パンクな服装でなくても良い。一度ライブを体験してみてほしい。
そこには新たな世界が広がっていると思う。

7月は別府と宮崎でライブがある。

CHIKARAさんはメッセージを込めて歌う。
「見えない扉をけとばしておいでよ。」
「見たこともない何かが、何か見えるはず。」
「年をとって大人になれば、目の前の扉は開くのかい?」
答えはNOだ。時が経つのを待っているだけじゃ扉は開かないぜ。自分で開けるんだ。
「だから薄汚いその扉を思いっきり蹴飛ばせよ。」
そう、『トビラヲケトバセ!』
そしたら、CHAOS MANIACの仲間入りだ。

最後にこれまでのメンバーで一番手がかかるのは誰なのだろうか?
(間髪入れずに)「今のBASSのコマッチやな。お前以上に大変やわ(笑)」
この問いかけに、俺の名前が挙がると思っていたが、まさかの現メンバーの名前が。
上には上がいるってことだ…。(どこで張り合ってんだよ!!!)

CHAOS
VOCALのCHIKARAを中心に結成された大分を代表するバンド。「俺たちが平成のラフィンノーズだ」とデモテープをばら撒きデビューライブを行い、30年が経った今も県内外問わず精力的に活動を行っている。Youtube▶唄喧嘩 VoL.1 / CHAOS対TRUST
Facebook▶http://ja-jp.facebook.com/chikara.oda
Instagram▶https://www.instagram.com/oda_ichiyanagi_chikara/
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大分県/バンド/パンクバンド/伝説/ロック/インタビュー

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